1966年生まれの 54歳 。趣味というものは数々あれど曖昧といえば曖昧で、
何を基準に「趣味」と呼んでいいものかどうか?
とはいえ趣味を持たない中年、いや人間というのも寂しいもので
ま、趣味の基準は小生の思い入れ度ということで、小生の趣味と趣味「だった」もののコンテンツです。
おはこんばんちは、ネット上での小生の生息地はここです
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
1966年生まれの 54歳 。趣味というものは数々あれど曖昧といえば曖昧で、
何を基準に「趣味」と呼んでいいものかどうか?
とはいえ趣味を持たない中年、いや人間というのも寂しいもので
ま、趣味の基準は小生の思い入れ度ということで、小生の趣味と趣味「だった」もののコンテンツです。
テレビドラマが1クルー(3ヶ月)ものが出始めてからほとんど見なくなってしまいましたが、
1970年代、80年代はなんといっても黄金期。任せないと云うほど見ていたつもりです。
すらすらと粗筋が出てくるとはいませんが(笑)。和物、洋物、極めつけはあの韓ドラとハマっておりました。そんな話やドラマの話など。
1998年か1999年から始まった小生のパソコンライフ
パソコンを使ってみると、これぞ待ちに待った使い勝手良い最高のおもちゃでありまして、OSもメジャーバージョンアップすれば、パソコンも買い換えます。
これまで購入しては廃棄していった愛しきマシンの歴史とスペックがここに。
小生自身、何故ハマったのか未だに解らないのが中国語。
一時期は自己紹介や簡単な日常会話なら喋ることができまでになったものの会話をする機会がなくなるに連れめっきり会話ができなくなってしまいました。あの語学会話教材の広告コピーは少し信じている次第です。
多少なりとも会話ができる状況にあったことを自負認識するためにも「結之介の中国語講座」たるものを開講しております。
この講座で少しでも中国語を理解していただけたなら小生自身もちゃんと身に付いているのだろうと自己認識しております。
その昔、ペンで小遣いを稼いだことがありました。
今はまったく活動はしておらず。最後にギャラを手にしたのは風俗のレポートでした。
シナリオは書いた事はあるものの芽は出ませんでしたね。
とりあえず、昔を思い出しながらシナリオ学校へ通っていた頃の課題作を載せます。
小生にとって1本の作品(2時間枠相当)を書くということは異常に大変な作業なので、気が向いたらそのうちに ⋯
小生は幾つかの趣味をしていた。そう過去形である。
どうして止めたのかと聞かれても別に理由はないし、
音楽鑑賞や映画鑑賞は昔ほど頻繁ではないにしろたまには見聞きする趣味の一つである。
音楽鑑賞や映画鑑賞は昔ほど頻繁ではないにしろたまには見聞きする趣味の一つである。
時間がなかった予算的無理だったりと、まぁ貧乏暇なしといったところが実情である。
中途半端にコレクションしたチラシと共に映画の話をあれこれと。
これは完全に中学・高校の頃の趣味。知らない人が多いと思うのでちょっと説明。
ラジオ放送を聴いてある書式に基づいて放送内容を記入した「放送受信報告書」という用紙を
放送局に送付すると、放送局が放送受信報告書が放送した内容と相違ないと判断した場合
謝礼として 「ベリカード」と言われる放送局オリジナルの絵葉書等を送り返してくれるそのベリカードを集めるというものである。
冒頭にも書いたが、どこから「趣味」と呼べてるのか?
コンプリートすれば「趣味」なのか?と判断は難しいものです。
そんなものを書き綴ってみました。